映画「まともな男」の感想(ネタバレあり)
いつもは映画を選ぶとき、ネットなどでなんらかの評判を知って、見る。
しかし、この映画はレンタル屋でたまたま目について借りてしまった。
あらすじ
中年男が妻、娘、上司の娘とスキー旅行に行く。
上司の娘が地元の若者にレイプされてしまう。
中年男はどうしたらいいか?
どうしたらいいか?
それは警察に通報することです。その通り。
でも男は小心です。事なかれ主義です。何事も穏便に済ませたいです。
みんなにいい顔したいです。責任を取りたくありません。
上司の娘も「内緒にしておいて!」と言います(最初のうちは)。
というわけで、
嘘は嘘を呼び、男の行動は裏目裏目で、パウダースノーのスイスのスキーリゾートにもかかわらず、負の雪だるまはみるみる大きくなります。
というわけで、
見ていて、全然楽しくなかった。
なぜなら私も小心で、事なかれ主義で、何事も穏便に済ませたく、
みんなにいい顔したい、責任のがれの中年男だからです。
身につまされ過ぎ。見てらんない。
しかし、脚本は素晴らしい。役者も素晴らしい。
とても上手に作られている、とも思う。
あとは細切れ感想。
- 男は酒を断っているけど、途中で飲んでしまう。その気持ちはとてもよくわかる。
- 男が娘に甘い顔をしてしまい、そのあと奥さんが娘を甘やかすとき、「私にもいい顔させて」と言われ何も言い返せなくなるあたり、上手いなあ。こういう夫婦間のバランスってある。
- 自分の娘の容姿を貶されて若者をぶん殴ってしまう気持ちもよくわかる。そりゃ腹も立つだろう。でもおれなら二十歳の男に勝てる自信がない。
- 上司の娘のほうが美人、という設定だけど、そんなに違うかな。二人ともきれいに見えた。
- 重要な証拠になりうる日記を捨てるのに、おれならもっと違う捨て方をします。
映画「ア・ホーマンス」を称賛する(ネタバレあり)
ひょんなことから最近見直した。
ネットの感想を見ると賛否両論だが、私にとってはたいへん素晴らしい映画なので擁護してみたいと思う。
石橋凌がいい
ラスト近くでオールバックから髪を下ろすシーンがいい。ゴリラーマンの藤本がリーゼントでなくなる場面はここからきたのではないか。
「こっちは頭とられてるのによ!向こうの頭とらねぇで何がヤクザだ!」と激高していたが、この侠気が「キッズリターン」の金子賢に引き継がれていくのだな。
片桐竜次がいい
松葉づえをついた甲高い声のヤクザが異様な存在感。普通に考えて足が不自由だったら戦闘能力は低いだろうが、周りが怯えていることで逆に観ている側にその凄みを想像させる。
剛州がいい
覚せい剤で女をつるような、抗争から真っ先に逃げ出しそうな情けなさがよく出ている。そのリアリティが周りのカッコよさや強さを説得力を持って際立たたせている。
手塚理美がいい
丸顔で品があってかわいい。水商売気がなくて、ヤクザと真逆の空気感。石橋凌もそれは後ろ髪を引かれるだろう。
ポール牧がいい
片桐竜次とともに怪演。カミソリを使う場面をはじめ、どの場面も極めて印象的。
松田優作がいい
あの主人公は松田優作の肉体があればこそ。あのジャンパーをふつうの人が
着てたらとてもダサいだろう。
何気ない身のこなしでアクションシーンを成立させる。
ラスト6分がひどい
昔、劇場で観たとき、この場面で客席から明らかに失笑が起こった。俺も愕然とした。
ここまでこれだけカッコいい映画を見せてきて、なんじゃこりゃ、と思った。
画面が180度回転するどころでない捻じくれ具合だった。
すべてが台無しではないか。
せめて主人公の力は超自然的能力とか、曖昧にしておけばいいじゃないか、と。
しかし、前情報なしでこの場面に立ち会えたのは得難い映画体験だった。
松田優作はあえてこの場面をいれることにより、この映画にメタ的な視点を導入し、観客に安心感を与えず、映画を相対化し、忘れがたいものにしようと企んだのだ、とアクロバティックに考えてみよう。そうしよう。
音楽がいい
オープニングの緊張感のあるベースラインから始まって、ラストはARBの名曲After'45。
「刑事物語」の「唇をかみしめて」に匹敵するエンディングソング。
まあ、俺の擁護なんて松田優作からすれば「てめえの知ったことか」だろうけど。
石垣のりこ個人演説会の感想
2019参院選に宮城選挙区から石垣のりこさんが立候補している。
彼女は仙台のFM局dateFMのアナウンサーだった。
運転中によく聞いていた。
音楽を流し、リスナーからのメールを読む、普通の昼間の帯番組。
しかし、その普通の中に何か惹きつけるものがあり、番組の時間にできるだけ合わせて車に乗るようにしたりしていた。
今年の4月、参院選立候補のニュースを新聞で読む。
勇気があるな、と思った。
ラジオパーソナリティとして十分人気があるのだ。それをなげうって選挙に出ることは、常識的な損得勘定からすればあり得ない選択だ。
まして宮城選挙区には自民党世襲3代目3期当選の現職男性議員がいる。
その圧倒的不利を覆そうとする少年マンガ的面白さもあり、その日からTwitterなどをフォローするようになった。
そしてまた彼女の発信力が素晴らしかった。
ラジオはFM局なので報道番組もなく、政治的なイシューはほとんど扱っていなかったと記憶する。それを聞いていた者としては、どこにこれほど膨大な言葉を隠していたのかと思うほどの言説の束であった。
新聞における候補者アンケートでも実に豊かな文章で返答しているし、Twitterやインタビューでの反応もこの春出馬を決めた人とは思えぬ鋭さである。
もしかすると、およそ20年のリスナーとの対話の中で醸造された思いが今爆発しているのかもしれない。
そんなこんなで先日近所の市民センターで個人演説会があるということを知る。
演説会に行くのは初めてだ。
土足でいいのか、靴を脱ぐのかなど、戸惑いながら3階の会場にたどり着く。
定員50人くらいの会場でほぼ満席。
「前のほうへどうぞ」というスタッフに促され最前列に座る。
もし石垣さんが当選したら、翌朝の新聞見出しは「石垣のりこえる」かなぁ、などと考えながら待っていた。
石垣さんは予定時刻を20分ほど遅れて到着。
休む間もなく、出馬の経緯、立候補にかける思い、現在の政治に対する見解と自分の目指す政策について語った。
さすがはアナウンサー、話もうまい。
平均年齢60歳くらいに見える聴衆を前に穏やかな雰囲気で会は進んだ。
適度な熱をもって滞りなく語られる声が1度だけ、リズムを崩した。
それはラジオの仕事を止めたことに話がさしかかった時だった。
「リスナーさんのことを思い出すと涙が出ます。番組も中途半端に終わらせてしまい、申し訳なく思ったのですが・・」と声を詰まらせた。
ああそうか、この人は職を辞してこの選挙に挑んだのだ、と改めて思った。
その仕事は十分にやりがいのあるもので、人間的な温かいつながりをもったものでもあったのだ。
水道橋博士が言っていた猪木イズム、「自分が天国にいて、憎いやつが地獄にいるとしたら、わざわざ天国を捨てて地獄にぶん殴りにいく、そんなエネルギーのこと」を思い出していたのは会場で俺一人だったろうけど、正直、心が動かされた。
ラジオの最終回を特等席で聞いた気分だった。
石垣さんは「選挙に出るとなったら、もう放送には戻れません」と言っていたが、そんなものだろうか。
立川談志は議員を辞めた後も落語をしていたし、仙台では世之介が立候補したけど、そのあとラジオもしていたと思う。
ともあれ、まずは国会で全国に向かってトークしてきてもらいたい。
今日の河北新報によれば、宮城選挙区は両陣営が一歩も譲らぬ激しい競り合いだそうだ。
ロッキーとアポロがボコボコ殴り合っている13ラウンドといったところだ。
新聞、テレビでは参院選は盛り上がってないとよく言うけれど、ほんとかね。
俺の中では今までで一番面白いけどな。
宮城を面白くしてくれた石垣さんと、選挙権を万人にもたらしてくれた先人たちに感謝する。
「なんでわざわざ中年体育」角田光代(文藝春秋)の感想
表紙にはボルダリングをする作者の写真が使われているが内容はマラソンとランニングが7割。残り3割で登山、ボルダリング、ヨガ、ジムのお話。
運動すること(その多くは走ること)について書かれた本だが、「走るのは嫌い」「好きではない」「嫌だ」という文言が驚くほど頻発する。
5年間でフルマラソンに8回も出ていて、「嫌い」もないもんだと思うが、小説家の思考は、「嫌いなのになぜ私は走るのか」という問題を掘り下げずにはいられないようだ。
素直に好きだといったほうがいいような気もしたけど。
そして不思議と俺も長距離を走ってみたくなった。
もうひとつ、読んでいてそそられたのが本筋ではないが、パセリ。
ランと食事について書かれた章でグリーンスムージーが取り上げられていて、そこにパセリの消臭効果がすごい、と唐突に書かれていた。加齢臭がなくなった人もいるという。スムージーはなんかしゃらくさい(個人的偏見)が、加齢臭を退治するのは魅力的。プランターで育ててみるかも。
「愛がなんだ」は角田光代の小説だったのか。
先週のTBSたまむすびの町山智浩と南キャン・山ちゃんの最後になるかもしれない「非モテ」トークも面白かった。
「麻雀放浪記2010」を観た
石野卓球が「ファンはいらない。ちゃんと金を払ってくれる客がいい」と言っていたので、金を払って見に行った。
冒頭いきなり「本作品にはピエール瀧容疑者が出演しています」的な注意喚起が映されていて笑う。しかし、ピエール瀧出演場面は思ったよりおとなしく感じた。事件を受けてカットした部分とかもあったのかな。
斎藤工の坊や哲に違和感はない。声がすごく木村拓哉に似ていると思う。
ドテ子がいい。最低ランクのアイドルの、化粧やコスチュームで隠し切れない汚れや疲れ。その存在感が、非現実的でドタバタな映画全体の箍として働いている。テレビの仕事を得るために、竹中直人とする行動のもの悲しさが印象的だった。
今のテレビにすんなりとは出られないベッキーと舛添要一の元気な姿も見ることができた。出目徳もちゃんとヒロポンを打っていた。
1984年版も見返したくなった。
あと、ゴリラーマンの「また天和?ふざけるな!」も。
斎藤工の襟に巻いている手拭いがきれいすぎるとは思ったが、あれがリアルに終戦直後の汚れっぷりだったらそれはそれでつらいのだろうな。嘘も方便ということで。
「つぎはぎ仏教入門」呉智英(筑摩書房)を読んだ
学生の頃、「ブッダのことば」(岩波文庫)を読み、そこに繰り返される「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉に痺れた。
その後、葬儀や墓参りで訪れる寺院を見上げて、「ブッダのことば」とは随分印象が違うな、とよく思った。
立派な建物が多い。明らかに高額な金銭がつぎ込まれている。
「宗教法人は税金がかからないからな。えらい金持ってるんだろうな。くそ。」
とやっかんだりした。
僧侶も太っていることが多く、肉食妻帯。
「ブッダが今の日本の仏教を見て、仏教だと思うのかな」と訝しむこと多数。
「つぎはぎ仏教入門」は常識的な仏教を批判し、同時に通俗的な仏教批判にも反撃を加える書であった。
上記のような俺の仏教に対する疑問に答えてくれると同時に俺自身の通俗的な目の鱗も何枚も剥がされた。
本書では「さとりの宗教」の仏教と「救いの宗教」のキリスト教が対比されていて、さとりを「悟り」と書くか、「覚り」と書くかという話も出てくる。
覚りと悟り、合わせて「覚悟」。
たしかに犀の角のように独り行くのはカッコいいが覚悟がいるだろう。
仏教論の本筋から離れるが、「上から目線」という言葉に対する作者の嫌悪感の話も面白かった。
上から目線だと言えば、それで何かを批判で来たと思う怠惰な精神が醜悪
であり、
社会全体の平準化圧力に同調していることを批判精神と勘違いした幼稚で甘えた連中の口にする言葉である。
と喝破している。
耳が痛い。
「ショージ君のほっと一息」と週刊文春の感想
「ショージ君のほっと一息」
特に興味深かったのは1976年の「猪木アリ戦」ルポ。
総合格闘技が一般化してからは、格闘技好きの間ではそれなりに評価されている一戦ではあるけれど、当時の大多数の日本人がどのように観戦し、落胆したのかがよくわかる。作者は格闘技マニアではないので、かえって当時の客観的な状況が冷静に詳らかにされる。3万円のチケットが当日ダフ屋に1万円で売られていた、とか。
他にも昭和50年代の世相を映し出すエッセイが詰め込まれていて、タイトル通り読んで「ほっと一息」できるいつもの東海林さだおの1冊であった。
週刊文春平成30年8月16日・23日夏の特大号
東海林さだおロングインタビュー!しかも聞き手は吉田戦車と伊藤理佐!伊藤理佐による東海林さだお仕事場探訪!
俺の好みにどストライクな特集で買う以外の選択肢はなかった。
しかし、期待が大きすぎたのか、ものすごく面白いというものでもなかった。大先輩に対する遠慮が全体に漂っている感じ。
子供のころテレビの特番にがっかりして、「これならレギュラー放送のほうが面白いや・・・」と思ったことを思い出す。
コレクターズアイテムとしてきれいにとってはおきますが。
伊藤理佐の仕事場探訪の中で夫婦ともども「エッセイの大ファンではあるがタンマ君は全部は読んでいない」とあるのは、すごく共感できた。
俺も東海林さだおのマンガよりもエッセイの大ファンだ。
そして、吉田戦車と伊藤理佐に関しても、エッセイとエッセイ的なマンガの大ファンであり、それ以外のマンガは全部読んでいるわけではない。
おんなじだなと思った。