「つぎはぎ仏教入門」呉智英(筑摩書房)を読んだ
学生の頃、「ブッダのことば」(岩波文庫)を読み、そこに繰り返される「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉に痺れた。
その後、葬儀や墓参りで訪れる寺院を見上げて、「ブッダのことば」とは随分印象が違うな、とよく思った。
立派な建物が多い。明らかに高額な金銭がつぎ込まれている。
「宗教法人は税金がかからないからな。えらい金持ってるんだろうな。くそ。」
とやっかんだりした。
僧侶も太っていることが多く、肉食妻帯。
「ブッダが今の日本の仏教を見て、仏教だと思うのかな」と訝しむこと多数。
「つぎはぎ仏教入門」は常識的な仏教を批判し、同時に通俗的な仏教批判にも反撃を加える書であった。
上記のような俺の仏教に対する疑問に答えてくれると同時に俺自身の通俗的な目の鱗も何枚も剥がされた。
本書では「さとりの宗教」の仏教と「救いの宗教」のキリスト教が対比されていて、さとりを「悟り」と書くか、「覚り」と書くかという話も出てくる。
覚りと悟り、合わせて「覚悟」。
たしかに犀の角のように独り行くのはカッコいいが覚悟がいるだろう。
仏教論の本筋から離れるが、「上から目線」という言葉に対する作者の嫌悪感の話も面白かった。
上から目線だと言えば、それで何かを批判で来たと思う怠惰な精神が醜悪
であり、
社会全体の平準化圧力に同調していることを批判精神と勘違いした幼稚で甘えた連中の口にする言葉である。
と喝破している。
耳が痛い。